最高裁判所第一小法廷 昭和23年(れ)2024号 判決 1949年6月16日
主文
本件各上告を棄却する。
理由
辯護人加藤充上告趣意第一點及び第二點について。
原審確定の事実によれば、「昭和二三年四月二三日在日本朝鮮人連盟の各支部代表者數十名が朝鮮人学校閉鎖命令の撤回要求につき大阪府副知事大塚兼紀と、大阪府廳内で會見交渉中同府廳前大手前公園に集合し右交渉の結果を待っていた朝鮮人連盟各支部員、朝鮮人諸学校教職員、生徒、保護者等數千名のものが共産黨員等の一部尖鋭分子から「吾々の敵は反動官僚の牙城たるあの大阪府廳である吾々は死を賭してあの府廳を乗り取ろうではないか」と激烈な語調で煽動されたため、同日午後三時三〇分頃、府廳舎内に押入り大衆の威力を以て府當局者を脅迫して閉鎖命令を撤回せしめる意圖の下に、ワツシヨ々々々々と喚聲をあげて、右大塚副知事の監守する同廳舎に殺到し、警察職員の制止があったにも拘らず、正面玄關から續々と同廳舎内に侵入して一階から五階に到る各廊下及び階段の大部分を占據し、同日午後八時頃まで、朝鮮獨立歌を高唱する等喧騒を極めると共に、或る者は知事控室外數個所の扉等を破壊し、或る者は鎮壓又は拘束しようとした警察職員と掴み合ったり、毆ったり等してこれを多數負傷せしめ、よって府廳内勤務員をして、或は恐怖の餘り執務を中止せしめ、或は扉を閉して警戒に當らしめた程の騒擾行爲をなしたものであるが、その際被告人等はいずれも閉鎖命令に反對して大手前公園に集り、交渉委員でも連絡委員でもないのに、前記群集の意圖を知りながら群集に從い、故なく府廳舎内に侵入すると共に、右騒擾行爲に附和隨行したものである。」というのである。そしてこの原審の事実認定は原判決擧示の證據に照らしこれを肯認するに難くないのである。
凡そ、官公署の廳舎の出入口及廊下等がその執務中一般に開放せられているのは、その執務に關連して、正常な用務を帶びて民衆の出入することが豫期せられる關係上、これが便誼に應ぜんとするものに過ぎないのであるから、その出入口及び廊下の如きはもとよりその廳舎を管理するものの看守内にあることは多言を要しないところであり、これを道路に準ずべきものであるとなす所論には到底賛同することはできない。原審認定にかかる被告人等の前示所爲が一般に豫期せられる正常な用務を帶びての廳舎への出入でないことは勿論、警察職員の制止を排しての押し入りである以上、故なく他人の看守する建造物に侵入したものであることは明々白々である。又原判決に、本件騒擾行為の首魁或は指揮者又は卒先助勢者が何人であるかを具體的に指名判示されていないことは所論の通りであるが、首魁その他のものの存否又は不明確というようなことは、判示被告人等の所爲が本件騒擾行爲に附和隨行したものに該當することに何等の消長を來すべきではない。原判決には所論のような違法はない。その他の所論は結局事実審である原審がその裁量權の範圍内で適法になした事実認定を非難するに歸着し上告適法の理由となすに足りない。論旨は採用に値しない。(その他の判決理由は省略する。)
よって舊刑訴第四四六條に從い主文の通り判決する。
この判決は裁判官全員の一致した意見である。
(裁判長裁判官 岩松三郎 裁判官 沢田竹治郎 裁判官 真野 毅 裁判官 齋藤悠輔)